わたのおはなし
わくわくワタのお話のはじまりです
ワタ、を表す漢字には2つあります。糸へんの「綿」と、木へんの「棉」です。畑で栽培されている時のワタ、植物としてのワタを表すときには木偏の棉。収穫された後のワタ、繊維としてのワタを表すときには糸偏の「綿」。このような使い分けをする場合もありますが、今ではすべて「ワタ」、「綿」と表記されることが多いです。
また、真綿(まわた)と、木綿(きわた)という言葉があります。真綿はシルク、生糸、絹のことで、木綿がコットン、めん、もめんのことです。どちらも「わた」なのですが、日本では絹の方が歴史的には先輩ですので、絹の方を「真の綿」としたようです。
今やジーンズはもちろんTシャツ、肌着などの衣類をはじめ、脱脂綿や綿棒、縫い糸、たこ糸、ぬいぐるみなど私たちの日々の生活には欠かすことのできない綿ですが、案外、その「ワタ」がどこでどのようにして栽培され、加工されているのかは知られていないようです。
綿は知れば知るほどおもしろいです。そして、いろいろなことを考えるきっかけを与えてくれます。知ってしまえば、自分でワタを栽培して、布だってつくってしまうことができるようになります。
ここでは、そんなわくわくする綿の世界をお話しさせていただきます。
綿の種類
ワタは植物学的には被子植物→双子葉植物→アオイ目→アオイ科→ワタ属となり、品種としては50種ほどが見つかっているそうです。その中で、繊維としてすぐれているものを選び出し人間が栽培したものが以下の4種。現在では品種改良によってさらにさまざまな品種が知られています。写真は超長繊維綿、中長繊維綿、短繊維綿のタネの比較です。
- Gossypium arboreum(アルボレウム)
- Gossypium herbaceum(ヘルバケウム)
- Gossypium barbadense(バルバデンセ)
- Gossypium hirsutum(ヒルスツム)

綿の栽培
現在、日本の衣料自給率は、原料ベースではほぼ0%です。
ほとんどが外国からの輸入に頼っています。綿花のおもな生産国は中国、インド、アメリカ、ブラジル、この4カ国でおよそ7割を占めているそうです。私たちは今日、こうした国々をはじめとする世界で生産された綿花のおかげで、比較的安くて着心地の良い綿製品を身近に身につけることができていることになります。
ところが、当たり前のことですが、江戸時代は日本の衣料自給率は100%でした。綿もすべて国産で、日本の各地で綿花が栽培されていました。条件さえ整えば、綿は誰でも簡単に栽培することが出来ます。ここでは基本的な綿の栽培方法について説明します。
写真は発芽後の様子。

綿の加工
畑で収穫した綿花は、まず天日にあてて十分に乾燥させてから保存します。畑で収穫したばかりの綿花を実綿(みわた、さねわた)と言い、その中に入っている種子(タネ)を取り出す作業が綿繰り(わたくり、さねくり)と呼ばれる第一次加工です。綿繰りを終えた綿は繰り綿(くりわた、くりこ)と呼ばれ、その後に弓などで繊維がほぐされて打ち綿(うちわた)となり、糸や布、布団に仕立てられていきます。ここでは昔ながらの加工工程を説明します。写真は機織り中の大和機(やまとばた)です。

綿の歴史
綿の栽培と利用は世界ではきわめて古くから行われていたことは間違いなく、その起源はは数千年前にさかのぼると言われています。
日本の綿の歴史については、8世紀末に一度綿のタネが伝来した記録が残っていますが、そのときは栽培が定着することはなかったようです。本格的に国内で栽培がはじまるのは戦国時代以降、15世紀の末頃からと考えられています。綿は日本に衣料革命を起こしたと言われるほど、人々から圧倒的な支持を得て急速に全国に広まっていきます。ここではおもに日本における綿の歴史について説明します。写真はアジアにルーツを持つ和綿の赤木です。

ならわたマップ
大和国(奈良県)は、日本における綿の栽培先進地域の一つでありました。江戸時代をとおして綿花は大和国の特産品の一つであり、綿に関連する歴史や文化、染色や織物、作品に触れることのできる旧跡、資料館、ショップなどが奈良にはたくさんあります。
奈良にお越しになられた機会に、ぜひこのならわたマップを参考に「ならわたツアー」をお楽しみください。
奈良にお住まいのみなさんには、ディスカバーなら、わが郷土再発見の旅をお楽しみください。写真は葛城市にある芭蕉ゆかりの綿弓塚です。
